4日間限定の村を300人で作ったフェスBURNING JAPAN

いわゆるフェスでもない、ただのキャンプでもないBurning Japan 2015

このフェス、というかキャンプは9月19日から3泊4日で行われた。今回のロケーションは採石場跡地の広場。とにかくライフラインが一切なく、太陽がギラギラ照りつく中でキャンプ生活を送る。

岩山なので電気ガスはもちろん、川も水場も無い。ここに約300名強が集い、期間限定の村をつくる。さらに現地でのお金の使用が禁止されているため、ここでの生活は物々交換、コトコト交換で助け合いのもと成り立っていく。食事やお酒、音楽やアクセサリーまでその場のひとがお互いに自分の持っている「何か」をギフティングし合いつくられていく。

やまもとさん写真

 

昼間は食事に、夜は光と音に群がるヒトの習性の延長線上に、都会では見れないコミュニケーションが発生していく去年に引き続き今回もなかなか面白いイベントでした。

 

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映像だと一番世界感が伝わりやすいかも。
Goproで初めて4日間撮り続けて3分にまとめた映像ログです。

[vimeo 140162529 w=700 h=393]

他人という壁のない会話で成り立つ村

メンバーとテントでご飯を食べていると別のところから酔っ払いが来て、チゲスープの入った鍋を片手に空いている席に座り込む。もちろん顔も名前も知らない。不思議とそんなに違和感がない。普通は赤の他人との利害関係や距離ができてスムーズなコミュニケーションなどは生まれにくい。

ただ「Burning Japanだから」という暗黙の了解のもと一般的に言う「知らない人」がいなくなる感覚になる。個人的には災害が起きた時と少し似ている感覚があった。生活のインフラは一緒に共有しようね、みたいな感覚。

 

せたさん写真

 

Burning Japanは小さい自己表現でも評価されるチャンスを自ら生み出そうとする人がいたりする。そこが面白い。プロかアマチュアかなどはあまり関係ない。自分が良いと思うかどうかのみ。

別にアクセサリーを作れなくても、料理ができなくても、楽器がひけなくてもいい。プロの花火師や料理人に混じって、「え、マジでなんすかそれ?笑」みたいな服を着たりいろんな事をやっている人たちがたくさんいる。テントを張るのを手伝う、思うままに踊って楽しい空気を作る、人の話をじっくり聞いてあげる、お酒をもらって一緒に乾杯をする、そんな些細なコトがその集合体の良さを作っていく。

 

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一方ビジネスの世界では自分の利益を生み出すための領域を守ろうとする。社会人としての当たり前、業界特有の習慣、団塊世代のやり方、ゆとり世代の文化、何かと自分とは違うコミュニティをひとくくりにしたレッテルが存在する。

そんな世界では一人一人の人間そのものを見る前に、その人の特性が所属する世代や部署や会社や業界などで判断される。自己表現が評価される前にフィルターがかかる。そんな事をBurning Japanではすごく意識させられた。

お金を使わないという共通認識のルールがあるから

そんな独特な世界観ができたのは、たぶん都会ではありえないルールがあったからだと思う。
ルールさえ作れば意識は変える事ができるんじゃないかと思えるようになった。

利益を作れるかどうかではなく、有益なコミュニケーションとハッピーな空間をクリエイティブに生もうとした時にこの特殊な世界観が成り立つ。もちろんそんなノリだけでは政治経済は成り立たないかもしれないが、遠い将来に向けた一つの社会構造の可能性として知っておいても良い考え方な気がした。

その場にいる人のほとんどが一つになって面白い空間作りに専念していた。そんな感じでした。
もちろん人間なので中には自分の利益を意識する人も少なからずいたはずだけど。

和田さん写真

 

自分が本当に良いと思うものを知ろうとする事がやっぱ大事だよね

最近でいうとfacebookの友達が少なくとも数十人は写真を上げていたULTRAなど、イベントの規模が大きくなればなるほど、「有名人と同じ空気の中にいたい」感覚の人が多い。音楽を聴きに行く人が正解とは言わないが、少なくとも自分は何が好きなのかを理解している人は本当に少数だと思う。自分の趣味趣向を分かっている人の方がリアルを充実させる(リア充って本来そういう事だよね)事ができるはず。

オレは派手なイベントや美しい景観の中に「居たコト」を「友達に報告」して終わりで良いとは全く思わない。なぜそこに行ったのか?何を感じたか?をサボらずに頭を使って考えて自分の中に落とし込まないと時間がもったいないよね。

後々の自分の行動に昇華させる事ができるのであれば、
「俺はその空間のバイブスを感じるために行った」でも立派な理由だと思う。

とにかく等身大の自分に何ができるか、それをどう表現するかという事を意識できる空間だった。
そしてまさにこの投稿自体が嘘のない直感的に感じた事のみを書いているか確認するため今から3回ぐらい見直します。

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