「こうであるべき」論をぶっ壊して、遊びで日本人のポテンシャルを最大限引き出す仕組み

もし人生がある一定の波長の繰り返しでできているとしたら、今オレは高校1年生の時と同じ波に乗っている気がする。10年前の自分の考え方と、周りで起きている事がどこか似ている。
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10年前の今ごろは日本に帰国して3年目の時期。全てが新鮮で、より面白く加工したくなる日本文化に囲まれ、受験でインプットした広範囲の膨大な情報を元に、妄想を現実に落とし込もうとひたすら考え動いていた期間だ。

とにかくインパクトのあるヤツに会いたくて、そいつらに会うたびに自分ももっとカッコ良くなろうと日々考えて工夫する毎日。そして何か面白い事をやろうとすれば、すぐ近くにそれを一緒にやろうとしてくれるセンス良い奴らが男女問わずいっぱいいて、如何に大人達の「こうであるべき」論をぶっ壊してやろうかと考えていた。どこか控えめで、言われた事しかやろうとしない日本人に対してイライラしながらある意味彼らを軽蔑し、無駄に目の前で目立つ行為を見せてはもっと自由に自己表現しろと煽っていた。
男子ダンス部員兼DJ。リミックス音源作成をしながらトランスとかヒップホップを聞き、40インチのデニムを履いて、金髪ピアスでバンダナを巻き、何故かルミカライトを常に持ってて。文化祭でステージに立つだけで女の子にキャーキャー言われ、自分達が学校で一番注目を浴びていると思い込む勘違いの極みを生きるような子供。とりあえず毎日が最強に楽しすぎた。

あれから10年、社会人3年目。日本は変わらなきゃいけないと周囲にどこか自虐的な雰囲気が漂う。自分自身について変わった事といえば、世の中にインパクトを出そうとする手法が視覚的な部分だけじゃなくて、概念とか思想とか目に見えないものにシフトしている事なのかな。

そして、もしあの高校の時と同じ波が今来ているとしたら、来年ぐらいに周りにいるやつらと何かで日本全国制覇をする事になる。全国ダンスコンクールで1位を受賞した時みたいに。

自分が尊敬している先生が日々自分達に伝えようとしてくれている事の意味を若干理解し始める。「何が一番面白くてカッコいいか」だけを考えてフザけながら全力で遊ぶ。そして全国1位受賞をきっかけに、自分達が生み出した歴史をぶち壊す新しい発想が世間に認められたと肌で実感する。周りの教科書通りに鍛えて準備万端で競い合いに挑む優秀ちゃん達を蹴散らし勝利を納めた事があまりにも嬉しくて大泣きする。世の中の「こうであるべき」論を一つブッ潰せたと実感した瞬間。

高校生の頃から少しは大人になったかもしれないけど、当時と今のオレはそんなに根本は変わってはいない。カッコつけてる事自体がそもそもくそダサいと思われている事を把握しながら、自分の考えを絶対的なモノとして勘違いし通し生きて行く。宗教や文化、法律や規則など、様々な世界秩序を守るとされるルールに完璧に従おうとしていると何も変化は起きない。所詮全て人間が作ったものにすぎず、世間一般に共通する「絶対」なんてない。自分の中に「絶対」があるかどうかが大事で、それをどうアウトプットするかがセンスが問われるところだと考えている。

ルールとか成功法則とか、どこか安心して楽に生きるためのマニュアルとして捉えられるケースが多いように感じる。大学時代、早稲田で学んだ世の中の面白いビジネスモデルやそのサクセスストーリー等は、そっくりそのままコピーするために勉強するものではないと考えていた。でも残念ながらそれらをコピーする事が正しいと考える人は凄く多い。ゆえに遊びやビジネス問わず、ムーブメントのコモデティ化(誤解を恐れずに言えば、誰でも作る事のできるゴミが増える現象)が進む。
例えばITの世界は日進月歩で技術品質のコモデティ化が進む。その中で長期的に築く独自の価値ではなく、短期的なリターンを見込んで技術的な側面で周囲に追い付こうとしている以上、競合同志での価格の叩きあいが必然となる。日本のスマホがクソすぎてiphoneが凄く売れている、みたいな大きな差ができる。日本の大学ダンスサークルシーンでは同じスタイルのダンスをひたすら修行の様に練習する「大学ダンスサークルのダンサーロボット」が大量生産される。だからオレはこの世界に飽きて、今ではそこらへんのイベントDJの依頼もテキトーに断っている。
どちらも飛び抜けた特色を出そうとしない文化の中でのコモデティ化が進んだ結果であると感じる。

日本人が歴史に沿った従来の成功パターンをそのまま再現しようとするのって、みんな周りの目を気にするからなのかな?先生から生徒として何かを懸命に学ぶ姿勢が強く根付いているからなのかな?
もしそうだとしたら、その強い高品質な日本人の精神を活かすベクトルに改善の余地は大いにあるはずだ。今の時代に合う日本人のポテンシャルを最大限引き出す仕組みを作るには何が必要か。今奥山清行 / 伝統の逆襲を読んでいて、その答えが書いてるような気がする。
高校生の時と明確に違うのは、そこがなんとなく見えてきた事なのかも。

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