オレがパーティ企画の中でアイディアを出し続ける一番大きな理由

いま企画中の2つのイベントについて、今さっきまで電話とLINEとfacebookで何人かと会話しながら思った事がある。オレは今パーティ企画を仕事としてやっているわけではない。だからこそあまりニーズありきじゃない商材(パーティ)を作ろうとする事ができる。例えば「彼氏や旦那さんにご飯を奢ってもらっている世の中の女子は平均○○円ぐらい貯金ができているはずで、彼女らに金を使わせるために女子会って言葉を流行らせてイベントを展開していきましょう」とかじゃなくて、「良くわかんないけど、たぶんこんな事すれば、それに魅力を感じる人達が出てくるはず」に期待しながら新しいアイディアを出し続けている。利潤追求」ではなく「新しいアイディアを実行して形にする」ための組織には何が必要なのかを知りたい。オレがやっている事ってそこに一番価値があるんじゃないかなと思っている。

会社の一事業としてイベント企画をやるとなると、そのビジネスの利害関係者が多く関わってくる為、リスクをとる事に慎重になる。大勢のおっさん達がこれで飯食ってるからつって。失敗できない風潮が漂う。ゆえに妥協して無難な成果物ができる。だからドラスティックな変化があまり期待できない。つまらない。金と短期的な感動は生まれるかもしれない。でもたぶんそれだけ。

かなり偏見が入っているのは重々承知の上、とはいえ上記内容は大方間違ってはいないと思う。責任が伴う上で先が見えないものを実行する事は怖いし、大勢を説得する事は凄く難しいはず。

とはいえパーティをやるにも費用は必ず発生するので、無責任でやりたい放題の人間はただのバカなダメオーガナイザーでしかない。だからオレは常に自分がやりたいと思ったパーティについてはとにかく自分が一番責任をとろうと思っている。なぜかって、そうしないと何も始まらないから。さらに言うと責任をとりながら新しい事を実行し続けるためには何が必要なのかも知れると思うから。

もちろん今まで失敗は数えきれないほどたくさんした。イベント売上の十数万円を盗まれた事もあったし、全然集客できなくて自分が参加したイベント自体がアウェイに感じたり、友情出演したはずのやつがギャラがないからって変な思いさせたり。もうマジで焦ったり、最悪に感じたり、そういうのは具体的に今でも覚えている。

でもそんな経験を「トラウマ」の一言で流すのはもったいなさすぎる。そこから学べた事はたくさんあり、それらを再発させない策を考えて自分の頭にストックし続けているからね!

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