ばーちゃんからの遺伝
今日は家族とばーちゃんちの近くの店でランチした。帰り道はそれぞれの買い物のためばらばらになり、オレはばーちゃんの買い物に付き合った。重い牛乳とか洗剤を買いたいって言ってたから代わりに持ってあげようと。 「重いし悪いから」と言うわりには醤油やサトウのご飯など追加の品々をオレが持つカゴにバスバス放り込んでいく。気を使われすぎなくて良い。
ぽかぽかする道をゆっくり歩きながら昔話を聞く。ばーちゃん足が悪いから早く歩けない。でその内容は大体は就活や若者にまつわる時事ネタか、姑(オレの亡くなったじーちゃんの母親)が物凄く怖い人だったと言う話。
じーちゃんと結婚してから何十年もの間、外出があまり出来ないオレのひーばーちゃんに怒鳴られっぱなしだったとの事。そこまではいつも聞いてるし知ってた。ただここからの話は今日が初めて。
なぜそんな環境で文句一つ言わずにやってこれたか。
「おじーちゃんを産んでくれた人だから、っていう風に考えて、常に良い方に、良い方に捉えてきたから何十年も一緒に暮らせたんだと思うのね。」
さらにじーちゃんと半世紀近く一緒にいてケンカした事が一度もなかったらしい。友達や大家族の女兄弟ともケンカした事がないって。いつも仲裁役で自分を悪者にしてその場か収まるならそれで良いと思って生きてきた「平和主義者なのよ。」って。
それを聞いて、オレも小学校のころからいつも仲裁役だったなーと思った。いじめっ子イケイケ悪グループと、いじめられっ子ネガティブ君達の両方と遊べた。
そしてこの自分のスーパーポジティブ楽観主義は確実にばーちゃんからの遺伝なんだなと。
いくらググッても検索出来ない価値ある情報に出会えたよ。良い日曜日。晴れてるし。