「ケ」と「ハレ」

昔から日本には「ケ」と「ハレ」という言葉がある。普段の日常を「ケ」と呼び、特別な日を「ハレ」という。日常に起こる災いなどは「気枯れ(ケガレ)」と呼ばれ、なるべくハレの状態であるようにと人々は願った。

しかしながら2008年現在の東京、少なくともオレは毎日がハレている。雨が降ろうが雪が降ろうが晴れだ。インターンの面接に落ちたり、単位を落としたりと、一般的にケガレていると思われる出来事はあるが、オレはそれらがハレる過程の一部にすぎないと思っている。

ただ一つ気をつけていることがある。自分がハレるために人に迷惑をかけたくはない。できれば自分のハレる過程に周りを引っ張り込めたらそれがベストだと思っている。ただ誰かがハレを体験するためには多くの人がケを過ごさなければならず、さらに何人かはケガレなければならない(この日本語の使い方おかしいんだろうな・・・)。今日は住みたい街no1の吉祥寺、井の頭公園にipodと共に散歩しに行った。桜が満開のハレ(雨だったけど)日和に出たケガレ「汚れ」。

2 thoughts on “「ケ」と「ハレ」

  1. それはやっぱりAll winはありえないって言うことを表しているの??そして関係ないことだけど、一つ聞きたいことがある!それはメッセで♡

  2. そう。やっぱりもなにもAll winは絶対ないでしょ!「右」があるから「左」があるのと同じで世の中の損得は共存せざるをえないと思う。っていう話。

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